こんばんは、都です。
昨日から七夕祭りが始まりました。
10日までなのですが、10日の救外夜勤である私。
きっと腹痛だの喧嘩で怪我だのがたくさん来ることでしょう・・・。
さて、
インシデント・アクシデントレポート、看護師ならきっと一度は書いたことがあるはず。
一年たって一度も書いたことがない、って人いたらすごいなぁ(いろんな意味で)
一番多いのは、きっと転倒かな?
次は点滴の滴下とか?? 薬の間違いとか??
明らかに看護師のミス、というものもあれば、そうでないものもあります。
認知症があり、自分で体動できる方。
夜勤で行ったら、腕に1cm程度の皮膚剥離がありました。
患者さんに尋ねても、意思疎通はできなくて、
動いた拍子に、きっと柵か何かにぶつけてしまったのでしょう。
でもフレッシュな出血もないし、とりあえず洗浄、アズノール、ガーゼ保護。
翌日WOCもみてくれました。
さて、
こういう場合、インシデント・アクシデントレポート、書きますか?
書きました。はい。
責任の所在はどこにあるのか? と尋ねられたら、私ははっきりとは答えられません。
高齢ではあったけれど、認知症もなくレベルもクリアでADL自立な方が、
ある患者さんが急変してそちらで看護師が処置している間に、点滴棒につまずき転倒してしまった。
もちろんレポートを書くでしょう。
でもどうすれば良かったのでしょう? 点滴棒を持たせず、尿器でも使うべきだった? ADL自立なのに? 羞恥心の問題にもなります。ではNsコールを押してもらい付き添うべきだった? そんなレベルの方でもない。 環境整備といっても、ベッドがあり消灯台があり、別に何か物を起きすぎていたとかそういうわけでもなく、他の方々と条件は同じ。
ただ起きてしまった事実。
レポートは誰の責任かを判断するためのものではありません。
皆で共有し、次に同じことが起きないよう、反省の意味も込め、振り返る為のもの。
けれど看護師が防ぐには予測の付かない、どうすることもできないことだってあります。
日々、世間の方々は抑制はしない方向に動き出している。
では、抑制をしないで患者さんの安全を、私達はどうやって守るのか。
簡単だからと安易に抑制してしまうのはもちろん、いけません。
けれど、どうやっても、抑制しなければ安全が守れないときだってある。
いや、どんな状態であっても、抑制をしない方法だってあるのだと、
そう言えるのは現場を知らない外側からしか物を見ないひと。
酸素マスクを外してしまう人を、どうやってみていきますか?
抑制せず、ご家族を呼びますか? ご家族がこれなかったら? 付き添えなかったら?
眠剤を使いますか? 呼吸抑制がくるかもしれない。
私達は日々、事故が起きないよう、できる限りの対処を考え、それを実践していきます。
それでもおきてしまう事故。
私達のミスであるときもあれば、どうしようもないこともある。
患者さんの全てをみるというのならば、看護師の数は圧倒的に少ない。
けれど、どうしようもないねぇ、で終わらせてはいけないことも事実。
看護師の責任ではないかもしれない。
それでも私達がインシデント・アクシデントレポートを書くのは、
それを書くことで自分達に知らしめる為でもあります。
私達にはどうしようもできない事もある。
それでも、なんとかできる可能性があるかもしれない。
まずは一度、どうすれば良かったのか、考えよう。
私達の責任ではないのだと、最初から放りなげちゃ、いけません。
それでもどうしようもなければ、あぁこれはほんとにどうしようもないことなんだね、とレポート書きながらひとつ溜め息を付けば良いのです。
ちなみに私が初めて書いたアクシデントレポート。
新人の時、廊下を歩いていたら、先輩が受け持っていた大腿骨頚部骨折の手術後1時間くらいの認知症の患者さんが、正座していたのを見かけました。
先輩に言ったら、笑顔で「アクシデントレポートだね」と言われました。
私受け持ちでもなく、ただ見つけて報告しただけ。受け持っている先輩は、何も書かず。
理不尽だ、まずそう思いました。
今でもそう思います。
でもあれは反面教師。自分がそうならなければいいんです。
理不尽なことは往々にして世間に蔓延っているもの。
不貞腐れたままでは前に進めません。
どうしようもない事だったり、発見しただけなのにレポート書かされたって、「これって私のせいなの?」なんて、苛々しちゃいけません。
だれの責任でもないけれど、書かなければならないこともある。
同じ事故が、これからできるだけ起きないように。
人気ブログランキングへ・ラベル: 看護師