白衣の独り言

良いことも悪いことも、人生には必要みたい。それでもやっぱりできるだけ、悪いことは少なめであって欲しいから、みんな頑張っているんだね。

2009年7月31日金曜日

私がそれを、信じたいから



彼女が入院して、2日目。


家で、たくさんの薬を飲んだ彼女。

意識は徐々に戻って、少し話すこともできるようになりました。

でも、その薬が抜け始めた4日目、夜勤。


不穏状態が続き、必ず誰かがそばにいなければ離棟してしまう。

私がいても、誰がいても、「死にたい」「帰る」「眠っていたい」と繰り返す。


今は薬を抜く必要のある時期だから、不穏時の指示もあまり使えない。一度使ったけれど、やはりあまり効果はなく。


もとの彼女を知っている人間には、辛い夜勤でした。

家族は付き添いができず、個室にはおけないためナースステーションから良く見えるICUの真ん中で。


私達は小さな声で、ひそひそと話をしました。



何故、こうなったのか。これから先、どうしたらいいのか。彼女の不安は、どうしても途切れません。

今は体を休めることが大事だと、何度言っても、変わらず彼女は何度もあの辛い言葉を繰り返します。

私は頷いて、知っているよと、でもその手伝いはできないのだと。



「私は今を乗り切れるかな?」 



問われて、大きく頷いても「どうしてそんなことがわかるの」と強く彼女は言います。

確証なんて、確かにないけれど。


「私がそれを信じたいから」



正直に言うと、彼女は黙ったまま。



彼女と話し、体をさすり、手を握って、朝方、ほんの少しだけ彼女は眠りました。



そして、次の勤務の日。


あの夜の彼女はおらず、しっかりと自分の足で立っていました。

「少し落ち着いたみたい」

自分でそう言って、ぎこちなく笑って。

良かった。

本当に良かった。

これから先、きっと彼女はまだ、辛い思いをするでしょう。

でも今は。

ほんとに、良かった。


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2009年7月27日月曜日

仕事と、私事


友人が入院しました。

救急車で救急外来に来たときには、レベル3桁。

彼女はまだ若く、本当に若く、だからこそ。

救急外来で、もう一人、彼女を良く知る看護師と二人で涙を堪えながら、痛み刺激にしか反応しない彼女に尿道カテーテルを入れ、血ガスを取った先生の後で止血をし、点滴の用意をし。

時間は勤務時間を過ぎてしまっていたけれど、どうしてももう少しいたかった。

夜勤にはもう帰りなさいと言われ。

これは仕事ではなく、私事。それはやっぱりいけないことなのでしょう。

感情的になってはいけない。うちの病棟に入院するなら。

友人としてではなく、看護師として? 

時に本当に難しく、厳しいことを要求されるんだと、思いました。


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2009年7月22日水曜日

母と叔父


昨日は夜勤明けでした。

明けで少しだけ寝て、そのまま実家の川崎へ。

今、実家には70歳になる母方の叔父がいます。

彼は独身。3年くらい前から母が一緒に暮らしていました。

2年前に脳梗塞を起こして左麻痺に。病院と施設を行き来していましたが・・・やはり、それではお金ももたない・・・。

なので、考えた末、母が引き取って介護することに。

母は元準看護師で今はヘルパーをしているので、介護保険で色々まかなって仕事をしながらおじさんの介護。

一人で、かなり大変だったでしょう。私も時々顔を出しますが、仕事をして、帰ってきたら叔父の介護。

毎日、毎日介護。

疲れもあるでしょう・・・休みの日以外にヘルパーを入れているので、休日も叔父の介護をして、どこかに出かけるのもままならない。

大好きな山登りだけは行きたいといって、時々ショートステイを利用しています。

そして今日から、富士山へ。

叔父はショートステイへ行くのですが、どうしても、出発日がかぶってしまう。

なので、母が朝早くに出て私がその後スティ先へ叔父を連れて行くことに。

久し振りに会った叔父はとってもにこにこ。

母は自分でできることはさせる主義なので、本当に必要最小限のことしかしません。

ベッドから車椅子への移乗も、着替えも、食事も、トイレ介助も、ゆっくりゆっくり叔父がやるのを見守って、できないところがあったら手を出します。

叔父は甘えたさんなので、時々できることも「できないよ」なんて言ったりしますが、母が「頑張って、できるでしょ」と言うとしぶしぶ自分でやります。

ちょっと厳しいかもしれませんが・・・でも、これって愛情がなきゃできないことだと思います。

だってこちらが手を出したほうが早いしスムーズ。

苛々しながら待つより、よほど簡単。

でもそしたら、すぐに叔父は何もできなくなります。絶えず誰かの手がそばになきゃ暮らせなくなる。

かわいそうだからと手を差し伸べるのが、愛情なのか。すぐに手伝うことは優しさなのか。

ゆっくりやるのを待てるのは、愛情。手を出さないのも愛情。

母と叔父をみてそう思いました。

無事ショートステイ先へ叔父を送って、帰るときの寂しそうな表情に後ろ髪を引かれつつ・・・。

とりあえず、落石にあわずに無事母が帰って来れますように。


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2009年7月18日土曜日

名前


看護師は患者さんと接するとき、ちゃんと名前を呼びますね。

でも、患者さんから私達が名前で呼ばれることは、あまりありません。

長い入院生活で、受け持つことも多いときは名前を覚えてもらえることがあります。

「昨日は ・ ・ さんに受け持ってもらったんだけど点滴痛くてさー」

なんて言葉も聞いたりします。

けれど救急病棟で働き始めて、患者さんから名前を呼ばれるのは滅多にありません。

ちゃんと最初に「今日受け持たせていただく看護師の都です」という挨拶もするんですが・・・毎日看護師は変わりますし、その間に患者さんもすぐに病棟がうつってしまいますもんね。

なので、大抵言われるのは「昨日電話で連絡してきた都さんとお話があるんですが」とか、ご家族からが多いんです。

患者さんやご家族に大切な話をさせてもらって、名前を通してもう一度連絡してほしいときくらい。

ちょっと寂しい。

でも、ここは救急病棟。患者さんが一番辛いときです。名前なんて二の次。

ただ、いけないのは・・・私達も、名前を覚え辛いということ。

患者さんはほぼ毎日入れ代わります。

ご本人の所へ行って関わるときは、その人の名前は頭にちゃんと描いていますから、名前をすっと呼べます。

でも、ナースステーションではよく「あの106号のAベッドの人」「急性膵炎のあの若い子」「あの点滴自己抜針した人」「Hb3.4の人」なんて言葉が飛び交います。

名前で言うよりお互いわかりやすかったりする。

でもこれ、考えてみたら結構危険ですよね。

話してる看護師と聞いてる看護師で思い描いている患者さんが違ったりすることもあります。

救急病棟では大抵毎日患者さんと初顔合わせ。

相手の名前と顔がしっかりと一致する前に点滴をして、処置をしなければならない。

取り違えたりしないように、必ず名前を言ってもらう。名前が言えない方は、リストバンドでチェック。

アクシデントが起きないように、気をつけなければ。

ただ、未だに「107号の ・ ・ ですけど、部屋変わりました?」

と転棟した方のご家族が来たときに言われると、一瞬「 ・ ・ さんて誰だっけ??」と思うことが多い。

いけませんね。

毎日頑張って名前を覚えてます。


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2009年7月14日火曜日

コールと勇気と、結果。


今日も夜勤明け、都です。

リーダーの経験のある方なら、コールする勇気の大切さ、理解されると思います。

真夜中。医師はオンコール、つまり病院内にはいない。しかも科の中でもトップの医師。

患者さんの状態の相談をしたいとき、こういったシチュエーションが一番迷います。

確実に電話をしなければならないことならすぐにコールできるのですが・・・

患者さんの状態の相談。看護師では判断の難しいこと。

医師に相談したい。

そんなとき、あなたなら、夜中の3時、オンコールとはいえ科のトップの医師を呼べますか?

医師にもよりますが、オンコール、仕事なのに、そんなことで電話してくるなと怒鳴る人もいます。

ケースバイケース。


今回、一人の患者さんが亡くなりました。

昨日の夕方来た患者さんは、肺癌。でも今回は嘔吐と右胸の痛みで来院。

レントゲン上気胸もないし、血液データは脱水なので、とりあえず入院・・・と主治医の先生。

血圧はもともと80台。酸素を2LマスクでSpO2も良値。ただ、時々急にSpO2が下がることがある。

そして、なぜかうなっている。

痛いの? と尋ねても首を振る。苦しくもない。気持ち悪くもない。

ならどうして唸るのか。 認知症もない方なのに。

とにかく身の置き所のないような状態で、でも、原因がわからない。

今、患者さんの体の中で何が起きているのか・・・

本当に脱水? 確かに尿は少ない、HRもタキだけれど、右を向いたり左を向いたりこの身の置き所のなさ加減は脱水だけではない気がする。

胃潰瘍と腹部大動脈瘤が既往にあるけれど、胃潰瘍でだったらもっと痛みや吐き気を訴えてもいいはず。腹部大動脈瘤が原因ならもっとバイタルに変動がある。それにヘモグロビンも下がってない。

自覚としての訴えはない。

何か検査したほうがいいのか? もう一度採血とか?

こんな曖昧な状態で、主治医でもないオンコールの医師に報告するべきか。

でも、

やっぱり、

心配。

なので、夜中の3時、自宅で寝ているだろうオンコール医師に電話をしました。

状態を話して、

『で?』

と彼は言いました。

『どうしてほしいの? その人DNRなんでしょ。モヒ始めたほうが良いってこと?』

「いえ、これが肺癌による症状なのかもわからないので、だから困ってるんです」

『だったら今何かどうこうする必要ないんじゃないの』

でも、明らかに患者さん、辛そう。

「検査とかしなくていいんですか?」

『バイタルかわんないし、辛そうってだけで自覚症状訴えはないんでしょ? 』

電話は切られてしまいました。

でも、そのあと。1時間くらいして血圧が下がってきて、SpO2も。

HR120台だったのが、徐々に90台に。

明らかに、レベルが落ちてきて。

ご家族を呼んで、オンコールの医師も呼んで。

ご家族は淡々とされていて、レベルが下がったことを伝えても「そうですか」とだけ。

そして朝7時くらいに、死亡確認。


なんだったのか。どうして、彼は亡くなったのか。

DNRだったとはいえ、あのとき何もしなくて良かったのか。自覚症状がなくても、何かするべきだったのでは。

でも何かって、何を?

こういうとき、看護師である自分の知識のなさが凄く歯痒い。

医師だったら、判断できたのか? 

それとも私にアセスメント能力がないのか・・・。

彼の体に何があったのか・・・。

引っ掛かりを残したまま、夜勤が終わりました。


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2009年7月11日土曜日

おうちでの出来事


うちに遊びに来ていて、帰るねーと家を出たうちの彼氏が、5分もせずに戻ってきました。

「明らかに認知症っぽい人がうろついてるんだけど。ちょっとヘルプ」

道路に出たところで、あるおばぁさまに声をかけられたそうです。

「ねぇちょっとお兄さん。車呼んでくださる? 帰りたいんだけど」

60~70代の女性の方。

どうしたのか尋ねると、

「帰りたいんだけどわかんなくてねぇ」

おっと。これは。

うちの彼氏も看護師さんです。

痩せて、目がぎょろっとした彼女。そわそわと落ち着きのない感じ。

で、うちに戻ってきたそうです。

「警察届けるべき? 車呼んだほうがいい?」

うーん。

とりあえずその方を見に。

と思ったら、すたすたと歩き始めている彼女。足腰はしっかりされているようです。

途中で立ち止まって、そのまま動かなくなったので、ちょっと声をかけてみました。

「あの、大丈夫ですか?」

ぱっと振り向いて、彼女。

「あらこんばんは。びっくりした。大丈夫。帰るから」

「突然ごめんなさい。大丈夫? おうち、わかりますか?」

「大丈夫。帰るの」

といって荷物の中から取り出したのは、懐中電灯。足元を照らしながらどんどん進んで行っちゃう。

んん。んー。

110番ですかね。

なので、電話。

もしかしたら、自宅を思い出したのかもしれないけれど・・・違ったら、大変だしね。

ということで、到着したおまわりさんと少し話して、彼も帰宅。私も帰宅。

どうなったかな。大丈夫かな。

心配です・・・。


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2009年7月9日木曜日

90代の夜


今日も、夜勤明けの都です。

昨日は内科二次。

内科二次では入院がたくさん来るのが通常です。夜のため、日勤帯で転棟させたりして入院患者さんの数を減らしてくれます。

ところが、昨日は意外と最初から患者さんの数が多くて、

おまけに、最初から、メンバーさんの一人を心臓カテーテル検査に持ってかれて、

私一人。20時半まで、寂しくお仕事。

その間に二人の入院。一人は痙攣発作の方で、ちょっと大変。

そして、そして。

99歳のおじぃさまがやってきました。

「あたしゃね、99歳なの! 誕生日は1月31日だよ。来年生きてたらプレゼントちょうだいよ。何、こっちのベッドいくの? 全く老体に鞭打たせるねぇ」

おじぃさま、とってもレベルクリア。ストレッチャーからベッドへの移動も自分でばっちり。

なんて元気なんでしょう。・・・39.8度も熱がありますけど。

SpO2、70台ですけど。

血培の指示をもらって採血をしていると、外来でMRSA検査のため鼻の奥に麺棒つっこまれたのを覚えているようで

「鼻の検査したり、血の検査したり、大変だねぇ」

あら。ほんとクリアな方。

ご家族が言うには、自宅でのADLも自立、排尿の失敗も今まで一度もなかったそうです。

良かったー自立の方で。

・・・なんて、ここで安心してはなりません。

絶対、なる。

なる気がする。

・・・・・・と思って警戒してたら、案の定、なりました。消灯後。

不穏。

「ちょっと! 部屋が違うんじゃないの? 本棚がないじゃない。 え? 入院してるの? あーそうか・・・入院してるのか・・・。・・・・・・ちょっと部屋間違えてんじゃないの!?」

あぁ・・・お口はばっちり達者。というか熱で若干ハイになってます。

入院してることを説明するとそのときは納得。でもすぐにまた「部屋が違う」と繰り返します。

頑張ってベッド柵を乗り越えようと足を柵にかけます。一度は前のめりに倒れそうになっているところを発見、倒れてきたところをキャッチ!

「いやぁ若い子に抱きついてもらえるなんて嬉しいよぉ」

おじぃさま。そりゃセクハラです。

そしてこの方の隣にいた90歳代の急性硬膜下血腫の方が、それに触発されて大騒ぎ。

いつのまにかベッド柵から足を出してそのまま立ちあがろうとしている。

「トイレ行くんだよー」

いやいや。ちょっと。待ちましょうよ。

あなたBa入ってるし。

・・・・・・ていうかそこ引っ張らない!!


あぁ・・・90歳代の不穏パーティー。


あっちが起きればこっちも起きる。

こっちが点滴抜けばこちらは酸素。

うん、酸素ね、してないとね、凄く辛いですから。酸素、自分で外して自分で「苦しい」と叫ぶの、やめましょうよ。

そして大失禁に点滴の脱血に、抜去に、また失禁に。

もう一人のメンバーさんと「私達今夜いったい何回この方達のシーツ交換と更衣をするんでしょう・・・」

一人3回ずつさせていただきましたけどね。

二人ともお薬を使って少し眠りましたが・・・トイレでおきてしまうのが難点。かといって抑制するともっと煽ってしまう感じ。

朝になったら肝性脳症の方と肺炎の方が入院。

そちらにかかっている間にも、彼らのパーティーは続きました。

うん。いやいや。あの。

さすがに、疲れました。

肝性脳症の方は、今にもという危険な状態。血圧はイノバンという薬をMAXで使って頑張って90台。今後の方針が決まらないまま奥さんが帰ろうとして、なんとか引きとめ。

日勤者への申し送りも、なんだかばたばたしてしっかりとできなかった・・・。

恐るべし、90代。

今回の夜勤はおじぃさま二人にやられた感じでした・・・。


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2009年7月6日月曜日

連休明けから

連休明けって、どうしてこう仕事に行きたくなくなるもんなんでしょうね・・・。

昨日、夜勤前ずーっとうだうだ「行きたくないー」と言っていた私。

それが祟ったのでしょうか。

最初から患者さんの多い夜勤に。

もう病棟が変わっていないだろうと思っていた例の人工呼吸器の方もまだしっかり乗っていて。

この方は病状が落ち着いているから良いのですが、他の方達はまだまだ急性期。

レベルの悪い方がいれば、レベルが上がって不穏になる方。

整形の腰椎圧迫骨折のおばぁちゃまは、全介助でご飯を食べ、ずーっと喋っていてお話途切れない・・・。

「私はね、フランス製のベッドに寝てたのよ。電動だからあまり動かないでいたら足がむくんでねー。で歯医者さんに行って帰ってきたらもー腰が痛くなってね。この枕硬いのね。私低反発の枕使ってたのよ。このお肉も硬いのね。まー息子達がね、胃は大丈夫だから食べなさいって言うのだけれど、私ほら寝たまんまだからそんなに入らないって言ってね」

さっきも聞きましたそのお話。

その間にも入院が二件。

一人は意識障害という触れ込みできた意識障害のない肺炎のおじぃさま。

うとうとしているだけで、レベルには問題なくほっと一安心。

なんてやってたら

「都さん、カテ」

容赦ないリーダーの一言。

もうすぐ締めの時間なのにー

やりましたよ・・・救急外来の患者さんの心臓カテーテル。

しかも  BIPAP  付けながら。

皆さんBIPAPって知ってます?

詳しく説明すると難しくなるんですが、普段使う人工呼吸器のように気管切開や挿管をしなくても、マスクをすることで使える陽圧換気のことです。

マスクがしっかりと合わないと意味がないし、強制的に思いっきり吹き込まれるのでつけてる方はなれるまで結構辛い。

よく睡眠時無呼吸症候群の方やナルコーシスになりやすい方が夜間につける簡易的なNIPPV、あれの大きいバージョン。

そう、

大きいんですよ・・・

先生達が心臓をモニターするために患者さんが寝た板をスライドさせ、

患者さんの頭側から心臓をはさむようにして造影するC型の機械を、見たい位置に容赦なく回転させます。 

あたる! あたるー! 

「あっごめんね」 「あっまたやっちゃった」

先生! こらっマスクにぶつけないで!!

患者さん、92歳だったんですが・・・ほんと、凄くしっかりされている方で。

マスクにがつがつ機械があたっても眉をそっと顰めるだけで、一生懸命あのBIPAPの押し込み空気にも耐えてくれました。

高齢の方は大抵嫌がって外すんですよね・・・。


心不全疑いだったんですが虚血が強く、やってみたら見事に#3が99%の狭窄。左も二箇所70%ほどの狭窄があったんですが、ステントは#3にだけ入れて、終了後CICUへ入院となりました。

病棟に戻ったのは1時半。2時間かかったようです。


少し休憩し、リーダーさんが次に休憩に入り、朝5時半。

ん? 

救急外来の、さっき来た救急車の患者さんを電子カルテでチェックしていたら、

「入院決定」

先生のプログレスノートに書かれた文字。

その下の入院決定オーダー。

・・・そうですね、うちですね。まだ5時半なんですもんね。

カルテを見ると、血液ガスデータ、pCO2、値振り切り。

あっ・・・ナルコーシスですね。振り切っちゃいましたか。そりゃ入院ですね。

まだこちらに連絡は来てなかったけれど慌てて入院準備して、他の患者さんの検温に回っていたら、ストレッチャーの音。

いやいや。

連絡しましょうよ。

・・・なんていってる場合ではなかったみたい。患者さん、SpO2が70%台。

そして今夜2回目のBIPAP・・・

でもBIPAPを装着したらSpO2も戻ってきて、患者さんも目を少しあけ頷くことができるようになりました。

少しほっとして、一緒にいた奥さんも嬉しそうに患者さんに声をかけて。

他の方の検温にまわり、あの腰椎圧迫骨折の方に捕まり、不穏の方を宥め、レスピの方の注入をし、合間にBIPAPの方を見に行き。

食事が来たな、と思ってナースステーションで顔を上げたら

ん?

BIPAPの方のモニター。

なんだか・・・

SpO2はさっきと同じ。血圧も120台。でも、HRがさっきより頑張ってる感じじゃない?

モニターの呼吸回数はあまり当てにならないけれど、なんだかさっきより頑張ってる感じじゃない?

なので患者さんのとこ行ったら、

下顎呼吸、になってました。

慌てて当直医コール。その患者さんの主治医は一番偉い先生。今回の入院ではしっかりとDNRの話はしておらず、脈もまだ100台で血圧もあるならその主治医の先生が来てから、と言う当直医の先生。

いやいや。ちょっとこの感じ、9時までもつかなという感じですよ。

・・・なんて電話している間にSpO2がまた70台へ。

渋っていた当直医に現状を伝えて、来てもらってご家族にお話してもらい。

結果DNRに。

BIPAPの設定も少し換えてもらい、SpO2は90台へ。

一度帰るというご家族を申し訳ないけれど引き止めて、

8時半にリーダーが申し送りをしている最中、腰椎圧迫骨折の方の食事介助。

介助している間も、BIPAPの方が気になって気が気じゃありませんでした・・・。

でもナースステーションに戻ったら、バイタルは少し安定していてほっと一安心。

なんとか無事全部の仕事を終えて、カンファレンスルームで本日の夜勤者で「疲れたねー」と少しうだうだし、

9時半頃にカンファレンスルームを出たら

あっ

主治医の先生。

来てくれたんだ、と胸をなでおろしたら、先生が持っている紙

 「死亡診断書」

30分の間に、SpO2が下がり、血圧が下がり。先に呼吸が止まったようでした。

ご家族を引き止めてよかった。

奥さんは、入院してからずっと患者さんのそばで足をさすってました。

当直医の先生からDNRについて話されても、あまり理解されていない様子で、私達看護師からも何度も説明していました。

息子さん二人と、娘さんと、奥さん。

4人に見守られて、亡くなった患者さん。

朝、BIPAPをつけて少しだけ目を開けて、頷いたりもできたのに・・・。

でもそのとき、奥さんが一緒にいられて、良かった。

ご冥福をお祈りします。


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2009年7月3日金曜日

沖縄旅行





さてぇ

沖縄旅行前日から38℃の熱を出した都さん。

抗生剤と解熱剤を飲んで、少し調子が良かったので沖縄についてから首里城を回り。

さて、国際通りへ行くかというところで、また体がふわふわと。

あ、

これは。

ということで、また38,5℃の発熱・・・。

薬を飲んで、1日目はその後ホテルで缶詰めして終了しました。( 'ノω') 

さて何で看護師さんは受診もせずに抗生剤なんて持ってるのでしょう。

それは秘密です。

・・・なんて、ちゃんと自分が前受診してもらって残っていた抗生剤ですよ。

でも安静と薬のおかげで2日目からは復活!

美ら海水族館行って、今帰仁城跡行って、ホテルでゆっくり。

3日目は万座毛行って残波岬行って、調子乗ってビーチで泳いでしまいました(〃^∇^)o 

日焼け止め二度塗りしてもこんがりになってしまった沖縄の陽射し・・・侮れません。。

しかし沖縄、何食べても美味しいですね~。

1日目はさすがに食欲なかったんですが、2日目からソーキそばにサーターアンダギーにアグーにゴーヤちゃんぷるにアイス、アイス、アイス。

熱出してたと思えないほどめちゃくちゃ食べてました( ̄▽ ̄)ノ

帰ってきてからも熱は出ず、良かった良かったと思ってたんですが・・・

熱とは別に。

なんでしょう。

この赤いぽつぽつは。

痒いんですけど・・・。

お腹周辺と、右腕に発赤が∑( ゚ω ゚ノ)ノ

日焼けのせい? それとも食べ物? ベッドのシーツ??

旅行だとどれが原因なんだか( ̄_ ̄);

でも、昨日より少し引いてきました。

最初の勤務は明後日の夜勤。

それまでに治るかな・・・


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2009年7月2日木曜日

ただいま!


先ほど、沖縄から帰ってきました。

楽しかったぁ!!

でも・・・ちょっと大変だった・・・

私、行く前日。

なんだか喉が痛いなぁ、体がふわふわするなぁと思ったら

38.6℃の発熱。

・・・・・・ ∑( ゚ ω ゚ノ )ノ !?

えぇえ~!? このタイミングで!?

自分にドン引きなんですけど・・・・・・_| ̄\〇

でも楽しみにしている相方のためにも、キャンセルするわけにもいかない。

抗生剤と解熱剤もってれっつらごー。

一日目はやっぱり38℃くらいまで出て、ホテルで安静にしてましたが・・・

翌日からは解熱して、動き回れるようになりました☆L(´▽`L )

今も熱はなく元気♪

でもちょっと別問題が・・・

とはいえ、ちょっと疲労困憊なので、少し休んできます・・・


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